17億円が「届かなかった」という事実から始めよう
広島市のプレミアム商品券、約17億円分が申し込まれずに余った。
この数字の意味を考えてほしい。17億円は、広島市の中小企業にとっての売上機会そのものだ。1万円の商品券に1,200円分のプレミアムがつく——つまり市が税金を使って「地元で買い物してください」と市民にインセンティブを渡す仕組みだ。それが届かなかった。
問題は「商品券の魅力がなかった」ことではない。12%のプレミアムは悪くない。問題は、その恩恵を受けるまでのプロセスにある。申し込み方法が分かりにくい、手続きが煩雑、そもそも情報が届いていない。結果として、本来この施策で潤うはずだった地元の商店街や飲食店に、17億円分の売上が流れなかった。
コストの話をしよう。プレミアム分の原資は税金だ。仮にプレミアム率12%で17億円分の商品券が発行されていたら、約1.8億円の税金が地域経済に回るはずだった。その1.8億円分の「経済効果」が消えた。さらに、商品券の印刷費、システム構築費、事務局の人件費——これらは余った分にも等しくかかっている。「使われなかった商品券」にもコストは発生している。これは無駄ではなく、設計ミスだ。
ぴーすくる停止が突きつける「インフラの脆さ」
広島市のシェアサイクル「ぴーすくる」がシステム不具合で利用停止になった。
ぴーすくるは広島市内に約100カ所以上のポートを持ち、市民の通勤・通学、観光客の市内移動を支えてきた。1回の利用料は165円程度。年間の利用回数は数十万件規模とされる。つまり、これは「あったら便利」なサービスではなく、すでに都市交通の一部として組み込まれたインフラだ。
そのインフラが、システム不具合で止まる。
ここで考えるべきは「なぜ止まったか」だけではない。「止まったときに代替手段がなかった」ことだ。ぴーすくるに依存していた移動ルートを持つ市民や観光客は、突然バスやタクシーに切り替えるしかない。広島市内のバスは路線が複雑で、初めての観光客にはハードルが高い。タクシーは単価が跳ね上がる。165円の移動が1,000円以上になる。
中小の観光事業者にとって、これは深刻だ。宮島口や平和公園周辺の飲食店・土産物店は、観光客の「ついでの立ち寄り」で成り立っている部分がある。移動手段が止まれば、回遊が止まる。回遊が止まれば、売上が落ちる。システムの不具合は、IT部門だけの問題ではない。地域経済の毛細血管が詰まるということだ。
もうひとつ指摘しておきたいのは、システム維持管理のコスト構造だ。ぴーすくるのようなシェアサイクルは、車両の維持費、ポートの設置費に加え、予約・決済・GPS管理のシステム費用がかかる。年間の運営コストは億単位と推定される。それだけのコストをかけて、不具合で止まる。これは「デジタル化しました」で終わる話ではなく、「デジタル化した後の運用設計」が問われている。
原爆資料館の入館料——「200円」の意味を考える
広島平和記念資料館の入館料見直しが議論されている。現在の大人200円という価格は、世界的な平和施設としては破格だ。
比較してみよう。アウシュビッツ博物館のガイドツアーは約5,000円相当。ワシントンのホロコースト記念博物館は無料だが、寄付モデルで年間数十億円規模の運営費を賄っている。広島の200円は、どちらのモデルとも違う中途半端な位置にある。
2023年度の原爆資料館の入館者数は約198万人。仮に入館料を1,000円に引き上げた場合、単純計算で年間約15.8億円の増収になる。200円のままなら約3.96億円。この差額の約12億円で何ができるか。展示のリニューアル、多言語対応の強化、被爆証言のデジタルアーカイブ構築——やるべきことは山ほどある。
ただし、値上げには当然リスクがある。修学旅行生や地元の子どもたちにとって、1,000円は「気軽に行ける」価格ではなくなる。平和教育の入口としての機能が損なわれる可能性がある。
ここで重要なのは「一律の価格設定」という発想自体が古いということだ。地元市民は無料、修学旅行は据え置き、海外観光客は1,500円——こうしたダイナミックプライシングは、技術的にはすでに実現可能だ。マイナンバーカードや予約システムとの連携で、属性に応じた価格設定はできる。問題は技術ではなく、「やるかどうか」の意思決定だ。
3つの事例に共通する「届かない行政」の構造
プレミアム商品券、ぴーすくる、原爆資料館。一見バラバラに見えるこの3つの問題には、共通する構造がある。
「施策を作ること」と「届けること」が分離している。
商品券は作った。でも届ける導線が弱かった。シェアサイクルは導入した。でも止まらない仕組みが弱かった。入館料は設定した。でも誰にいくらで届けるかの設計が弱かった。
これは広島市だけの問題ではない。日本中の地方自治体が同じ構造的課題を抱えている。「デジタル化」と言いながら、やっていることは紙の仕組みをデジタルに載せ替えただけ。届ける仕組みの設計、つまりUX(ユーザー体験)の設計が決定的に欠けている。
民間の中小企業なら、商品が売れなければ即座に売り方を変える。チラシを変え、導線を変え、価格を変える。PDCAを週単位で回す。行政にはその速度がない。予算は年度単位、仕様変更には稟議が必要、担当者は異動する。この構造が「届かない行政」を再生産し続けている。
中小企業にとっての「本当の問題」
地方の中小企業の経営者として、この状況をどう見るか。
率直に言えば、「行政の施策に期待しすぎるな」ということだ。17億円の商品券が余るということは、その商品券で潤うはずだった自分の店の売上は、自分で取りに行くしかないということだ。
ただし、それは行政を批判して終わりにしていい話ではない。中小企業の側から行政に「こう届けてくれ」と具体的に提案する必要がある。商品券の申し込みを自社のLINE公式アカウントから誘導できないか。ぴーすくるのポートを自社店舗の前に設置してもらえないか。資料館の来館者に周辺飲食店のクーポンを配信できないか。
行政の施策は「素材」だ。その素材を自社の売上に変換するのは、経営者の仕事だ。
で、結局どうすればいいのか
広島市に求めたいことは3つある。
1. 施策の「届け方」にKPIを設定せよ。
商品券の発行額ではなく、申込率・利用率をKPIにする。ぴーすくるの設置台数ではなく、稼働率と障害復旧時間をKPIにする。資料館の入館者数ではなく、リピート率と顧客単価をKPIにする。測るものを変えれば、行動が変わる。
2. 小さく試して、速く直せ。
17億円分を一括で発行して余らせるくらいなら、最初は3億円分で試して、申込率を見てから追加発行すればいい。ぴーすくるのシステム更新も、全ポート一斉ではなくエリア限定で段階的にやればいい。行政にもアジャイルの発想が必要だ。
3. 中小企業を「施策の配信チャネル」として使え。
行政が直接市民に届けるより、地元の商店や企業を経由して届けた方が到達率は高い。商品券の案内を地元スーパーのレジ横に置く、ぴーすくるの案内をホテルのチェックイン時に渡す——こうした「ラストワンマイル」の設計に中小企業を巻き込むべきだ。
広島は今、G7サミット後のインバウンド増、サッカースタジアム開業、駅前再開発と、追い風が吹いている。この風を地域経済の隅々まで届けられるかどうかは、「施策を作る力」ではなく「届ける力」にかかっている。
17億円が宙に浮いている場合ではない。
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