「始めた」ものを、誰が終わらせるのか
岩国市の古代ハスが維持できない。SOZU温泉が休館した。広島市の中央公園ファミリープールが、累計700万人を迎えた末に今年閉園する。
3つのニュースに共通するのは、「始めたときの熱量で20年走ったが、畳み方を誰も考えていなかった」という構造だ。
地方には「始める補助金」は山ほどある。国の交付金、県の助成、ふるさと創生資金。だが「撤退の設計図」を描く仕組みはほぼゼロだ。始めるのは美談、畳むのは敗北——この空気が、地方の体力をじわじわ削っている。
問いはシンプルだ。維持できなくなった資産を、どう畳むか。あるいは、畳まずに形を変えられるか。
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古代ハス——年100万円、担い手の平均年齢70代超
岩国市の古代ハスは、地域の住民グループが約20年にわたり栽培・管理してきた。見頃の時期には市外からも見物客が訪れ、地域の誇りだった。
だが現実を見ると、維持にかかる経費は年間約100万円。金額だけなら大きくない。問題は「誰がやるか」だ。中心メンバーの高齢化が進み、平均年齢は70代を超えているとみられる。猛暑が続く近年は、炎天下での水管理や草刈りが身体的に限界に近い。
年100万円のコストより、「毎週末に現場に出られる体力のある人が3人いるかどうか」のほうが致命的な問題だ。これはハスに限らない。地方の祭り、里山整備、用水路管理——ボランティア頼みの地域資産は、担い手の平均年齢がそのまま「余命」になる。
ここで「若者を呼び込もう」と言うのは簡単だが、現実的ではない。年100万円の活動に若い人材をフルコミットさせる経済合理性がない。むしろ考えるべきは、「20年間の活動で蓄積されたノウハウや種子を、どう次の形に引き継ぐか」だ。
例えば、ハスの株や種子を近隣の学校や公園に分散して植え、「一カ所で集中管理」から「地域に分散して生き残らせる」モデルに転換する。管理コストは各拠点で年数万円レベルに下がる。全体を一つの団体が背負う構造から脱却できれば、ハスそのものは残せる可能性がある。
畳むとは、必ずしも「ゼロにする」ことではない。「一点集中」を「分散」に変えることも、立派な畳み方だ。
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SOZU温泉——「白紙」が一番コストがかかる
岩国市のSOZU温泉が休館した。プロジェクトチームが今後の方針を検討中だが、現時点で具体的な計画はない。つまり「白紙」だ。
この「白紙」が実は一番危ない。
温泉施設は、営業していなくても維持コストがかかる。配管の凍結防止、ボイラーの保全、建物の最低限の管理。休館中でも年間数百万円が消えていく。しかも「いつか再開するかもしれない」という期待があるから、解体もできない。判断を先送りするほど、選択肢が狭まり、コストだけが積み上がる。
全国の公営温泉・日帰り温泉施設の閉鎖事例を見ると、パターンは大体同じだ。利用者減→赤字拡大→休館→「検討中」のまま数年→老朽化が進み再開不能→解体費用が億単位に膨らむ→塩漬け。このサイクルに入ると、地域にとっての「資産」が「負債」に反転する。
「白紙」は判断ではない。判断の放棄だ。
やるなら2つしかない。再開するなら、期限と投資額と収支計画を出す。畳むなら、今のうちに設備を売却・転用して傷を浅くする。温泉の掘削権や設備には中古市場がある。源泉そのものに価値があるなら、民間事業者への譲渡も選択肢だ。
地方の温泉施設で再生に成功した事例を見ると、共通しているのは「行政が手放す決断をした」ことだ。大分県竹田市の長湯温泉エリアでは、民間の宿泊事業者が温泉資源を活用した施設運営を行い、行政はインフラ整備に集中する役割分担が機能している。「自分たちで全部やる」から「得意な人に渡す」への転換。これが畳み方の一つの型だ。
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ファミリープール——700万人の記憶をどう着地させるか
広島市の中央公園ファミリープールは、1974年の開業以来、累計約700万人が利用した。広島市民にとっては「子どもの頃の夏休み」そのものだ。
だが数字を見れば、閉園は避けられなかった。施設は築50年で老朽化が深刻。年間の維持費は約3,000万円とされ、入場料収入では到底まかなえない。改修するなら億単位の投資が必要だが、少子化で将来の利用者数が増える見込みはない。サッカースタジアム建設に伴う中央公園の再整備という都市計画上の判断もある。
閉園そのものは合理的だ。問題は「畳み方の設計」にある。
700万人が利用した施設には、数字では測れない「地域の記憶」が蓄積されている。これを「はい、終わりです」で切ると、住民の喪失感だけが残る。逆に、閉園プロセスそのものを「地域の物語」に変換できれば、次の資産につながる。
実際、最後の夏に「もう一度遊びたい」という声が多数寄せられている。この熱量は本物だ。閉園イベントを単なるセレモニーで終わらせず、50年分の写真や映像をアーカイブ化し、跡地に記憶を残す仕掛けを組み込む。それが「畳んだ後」に地域の誇りとして残るかどうかの分岐点になる。
畳むときに「次の種」を残せるかどうか。それが、ただの閉鎖と「戦略的撤退」の違いだ。
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地方に必要なのは「撤退の設計図」
3つの事例から見えてくる共通の構造がある。
- 始めるときに「終わらせ方」を決めていない——補助金で始まったプロジェクトほど、終了条件が設定されていない。
- 「維持すること」が目的化する——本来は手段だったはずの施設や活動が、いつの間にか「続けること自体」が目的になる。
- 判断を先送りするほどコストが膨らむ——SOZU温泉の「白紙」がその典型。
では、どうすればいいのか。
中小企業の経営では「撤退基準」を事前に決めるのは基本中の基本だ。売上がいくらを下回ったら撤退する。赤字が何期続いたら事業を見直す。これを地域の公共資産にも適用すべきだ。
具体的には、「5年ごとの棚卸し」を仕組み化する。維持コスト、利用者数、担い手の人数、この3つの指標を定期的にチェックし、基準を下回ったら「継続・縮小・転換・撤退」の4択で判断する。感情論ではなく、数字で決める。
もう一つ重要なのは、「畳む」専門のノウハウを持つ人材やチームの存在だ。始めるときにはコンサルタントが入るのに、畳むときは現場に丸投げされる。閉鎖プロセスの設計、資産の転用・売却、住民への説明、記録のアーカイブ化——これらを一貫して担える人材が地方には圧倒的に不足している。
ここにこそ、中小企業やフリーランスの出番がある。大手コンサルに数千万円払う必要はない。地域の事情を知り、小回りが利く地元の人間が、撤退の設計図を描く。これは「地方の中小企業だからこそできる仕事」だ。
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畳む力がある地域だけが、次を始められる
地方の衰退は「新しいものが生まれない」ことではない。「古いものを畳めない」ことだ。
維持できない施設に年間数千万円を注ぎ続ける自治体。担い手がいないのに「伝統だから」と続ける活動。判断を先送りして塩漬けになる温泉施設。これらが地域の財政と人材を食い尽くし、本来投資すべき「次の挑戦」に回す余力を奪っている。
古代ハスもSOZU温泉もファミリープールも、始まったときには確かに価値があった。問題は、その価値が変質したときに「形を変える」判断ができなかったことだ。
「畳む」は敗北ではない。次を始めるための、最も重要な経営判断だ。
地方に本当に必要なのは、もう一つの補助金ではない。「いつ、どう畳むか」を冷静に設計できる力だ。それを持てた地域だけが、限られたリソースを次の価値に振り向けられる。
広島・瀬戸内エリアでも、この問いは他人事ではない。あなたの地域にも「維持できないのに畳めない資産」はないだろうか。
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