3人しかいない消防署で、火事と急病は同時に起きる
広島県北広島町。人口約1万6,000人。中国山地に抱かれた静かな町で、命のインフラが音を立てて軋んでいる。
この町の消防出張所は、1当務あたりわずか3人体制だ。消防車が火災に出動すれば、救急車に乗る人間がいなくなる。消防車が出ると、救急車が止まる。冗談のような話だが、これが現実だ。
山口県岩国市の錦中央病院では、休日・夜間の救急外来を休止した。医師がいない。結果、脳卒中の症状が出た住民が「朝まで我慢しよう」と判断し、後遺症が残った事例が報告されている。
「命のインフラ」が壊れるとき、統計には現れない。一人の住民が、夜中に胸を押さえながら「電話しても来ないかもしれない」と諦める。その瞬間に壊れる。
問いたい。これは北広島町や岩国市だけの問題か?
違う。瀬戸内の中山間地域、島しょ部、過疎が進むあらゆる自治体が、同じ崖の縁に立っている。
数字で見る「維持できない構造」
消防・救急の運営コストを具体的に見てみる。
総務省「消防白書」によれば、全国の消防費は年間約2兆円。自治体あたりの平均消防費は人口1人あたり約2万3,000円だ。北広島町の人口1万6,000人で単純計算すると、年間約3億7,000万円。町の一般会計予算が約130億円(令和4年度)だから、消防費だけで3%弱を占める。
しかし問題はコストの絶対額ではない。「固定費の性質」だ。
消防署は人口が半分になっても、半分にはできない。消防車も救急車も、1台は1台だ。3人体制を1.5人にはできない。人口が減れば住民1人あたりの負担は上がる。北広島町の人口は2000年の約2万2,000人から現在の約1万6,000人へ、20年で27%減った。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2045年には約8,700人まで減る。現在の半分だ。
人口が半分になったとき、消防費は半分になるか? ならない。1人あたりの負担は倍近くになる。
これが「採算の崖」だ。
救急医療も同じ構造を抱えている。岩国市立錦中央病院の夜間救急休止の背景には、医師不足がある。常勤医師の確保には1人あたり年間2,000万〜3,000万円の人件費がかかる。夜間救急を維持するには最低2名のローテーションが必要で、それだけで年間4,000万〜6,000万円。対象人口が数千人規模の地域で、この固定費を支え続けることは、もう構造的に無理が来ている。
繰り返す。これは「頑張りが足りない」という話ではない。構造の問題だ。
「広域化」は答えになっているか
国が推進しているのは消防の広域化だ。小規模消防本部を統合し、スケールメリットを出す。総務省は「消防本部の管轄人口30万人以上」を目標に掲げている。
広島県でも広域化の議論は進んでいる。だが、広域化には根本的な限界がある。
統合しても、現場までの距離は縮まらない。
北広島町から最寄りの中核病院(広島市内)まで、救急車で約60分。広域化で本部の事務効率が上がっても、この60分は変わらない。脳卒中の血栓溶解療法(t-PA)の有効時間は発症から4.5時間以内。心停止からの救命率は、1分ごとに7〜10%ずつ下がる。距離と時間の壁は、組織再編では超えられない。
広域化は管理コストの最適化であって、現場の命を救う距離の問題には答えていない。
テクノロジーは「距離」を縮められるか
では、テクノロジーに何ができるのか。「AIで解決」「ドローンで解決」と言いたいわけではない。冷静にコスト感と実現性を見る。
1. AI救急相談・トリアージシステム
東京都が運用する「#7119」(救急安心センター)は、看護師が電話で症状を聞き、救急車を呼ぶべきか判断する仕組みだ。これをAIで自動化・補助する動きが出ている。
導入コストは、クラウド型のAIトリアージシステムで年間500万〜1,500万円程度(自治体規模による)。北広島町単独では高いが、広域連携で5〜10自治体が共同利用すれば、1自治体あたり年間100万〜300万円まで下がる。
効果はどうか。埼玉県の救急電話相談では、相談者の約4割が「救急車を呼ばなくてよい」と判断を変えている。救急出動の約4割が軽症という現状を考えれば、出動件数を2〜3割減らせる可能性がある。3人体制の出張所で、出動が2割減れば「消防と救急が同時に動けない」リスクは確実に下がる。
2. ドローンによるAED・医療物資配送
スウェーデンのEverdrone社は、心停止の通報を受けてAEDをドローンで現場に届けるシステムを実用化している。到着時間は平均3分。救急車の平均到着時間(スウェーデンで約15分)より大幅に速い。
日本でも、ANAホールディングスやKDDIがドローン物流の実証実験を進めている。長崎県五島市では、医薬品のドローン配送が実用段階に入った。
コスト感はどうか。ドローン1機の価格は産業用で200万〜500万円。運用コスト(保険、メンテナンス、通信費)は年間100万〜200万円程度。5機配備しても年間1,500万〜3,500万円。夜間救急医を1人雇うコスト(年間2,000万〜3,000万円)と比較すれば、代替ではないにせよ「補完」としては現実的な数字だ。
ただし、課題もある。日本の航空法規制、夜間飛行の制限、山間部の気象条件。「技術的にできる」と「制度的にやれる」の間には、まだ溝がある。
3. オンライン診療+地域の「医療ハブ」化
錦中央病院のような小規模病院が夜間救急を自前で維持するのは、もう限界だ。であれば、夜間はオンライン診療で広島市や岩国市の中核病院の医師とつなぎ、現地には看護師と救急救命士を配置する「医療ハブ」に転換する選択肢がある。
オンライン診療システムの導入コストは月額数万〜十数万円。年間で100万〜200万円程度だ。常勤医師を1人雇うコストの10分の1以下。もちろん、オンラインでできる医療行為には限界がある。だが、「朝まで我慢する」よりは、はるかにましだ。
「命のコスト」を誰が負担するのか
技術の話をしてきたが、本質はそこではない。
本質は、「人口8,700人の町で、命のインフラを維持するコストを誰が払うのか」という問いだ。
現状、消防も救急医療も自治体の一般財源と地方交付税で賄われている。人口が減れば交付税も減る。税収も減る。だがコストは減らない。この方程式に解はあるか。
3つの方向性を提示する。
第一に、テクノロジーによる固定費の変動費化。 常勤医師の代わりにオンライン診療。常駐消防隊員の代わりにAIトリアージとドローン。「人を置く」から「仕組みを置く」への転換だ。中小企業の経営と同じで、固定費を変動費に変えることが、小さな組織の生存戦略になる。
第二に、広域での共同投資。 AIシステムもドローンも、1自治体で持つ必要はない。瀬戸内エリアの10〜20自治体で共同調達すれば、1自治体あたりのコストは劇的に下がる。消防の広域化が「組織の統合」なら、こちらは「インフラの共有」だ。組織はそのまま、道具だけ共有する。中小企業の共同購入と同じ発想だ。
第三に、住民自身の「自助力」の底上げ。 AEDの使い方、心肺蘇生法、脳卒中のFASTチェック。救急車が来るまでの5分、10分をつなぐ力を住民が持つことが、最もコストが低く、最も効果が高い。スマホアプリで近隣の救命講習修了者に通知を飛ばす仕組み(東京都豊島区の「AED SOS」など)は、年間数十万円で導入できる。
このまま「仕方ない」で済ませるのか
北広島町の消防出張所3人体制。錦中央病院の夜間救急休止。これらは「地方の悲しい現実」として消費される記事になりがちだ。
だが、問いたいのはそこではない。
消防車が出ると救急車が止まる。この構造を、あと何年放置するのか。
夜間に脳卒中が起きたら朝まで我慢する。これを「仕方ない」と言い続けるのか。
テクノロジーは万能ではない。だが、年間数百万円のAIトリアージで出動の2割を減らせるなら、やらない理由は何か。ドローンAED配送が3分で届くなら、法整備を待つ間に何人が亡くなるのか。
瀬戸内の「命のインフラ」は、採算の崖に立っている。崖から落ちる前に手を打つのか、落ちてから「想定外でした」と言うのか。
答えは、もう出ているはずだ。
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