株式会社TradeSupport

2026.05.28

カキ5000個盗難×大量死×ナフサ高騰——広島の「海の経済」が生産・保全・流通の三層で同時に壊れている

カキ5000個盗難×大量死×ナフサ高騰——広島の「海の経済」が生産・保全・流通の三層で同時に壊れている

広島のカキが、3つの方向から同時に殴られている。

廿日市市の養殖筏からカキ約5000個が盗まれた。海水温の異常上昇でカキが大量死した。中東情勢の悪化でナフサ価格が跳ね上がり、包装資材や流通コストが膨らんでいる。どれか1つでも厳しいのに、これが同時に来た。

問題は「それぞれの被害額がいくらか」ではない。生産・保全・流通という水産業のサプライチェーン全体が、同時に毀損しているということだ。広島県のカキ生産量は全国シェア約6割。ここが揺らげば、日本の食卓が揺らぐ。

1個あたりのコストと損失額を積み上げて、何が起きているのかを可視化する。

盗まれた5000個——損失75万〜100万円の「見える被害」と「見えない被害」

2025年11月から12月にかけて、廿日市市の養殖筏からカキ約5000個が盗まれた。

広島産カキの浜値(生産者が出荷する段階の価格)は1個あたり約150〜200円。単純計算で75万〜100万円の直接損失だ。年間売上が数百万円規模の個人養殖業者にとって、これは月商に匹敵するダメージになりうる。

だが、本当の問題は金額だけではない。

カキ養殖は、稚貝を仕込んでから出荷まで約1年半〜2年かかる。盗まれたのは「すでに育成コストを回収する直前」のカキだ。飼料代はかからないとはいえ、筏のメンテナンス費、海域の利用料、人件費——これらを1年以上かけて投下した後に、一晩で持っていかれる。

しかも、海上の養殖筏は物理的に監視が難しい。陸上の倉庫なら防犯カメラやセンサーで対応できるが、沖合に浮かぶ筏を24時間見張るのは現実的ではない。広島県内のカキ養殖業者は約400事業者。その多くが家族経営や少人数の零細事業者だ。防犯設備への投資余力があるかと問われれば、答えは厳しい。

1個200円のカキを守るために、1台数十万円の監視システムを導入できるか。 これは中小の養殖業者にとって、コスト構造そのものの問題だ。

近年、農作物の盗難は全国的に増加傾向にあり、農林水産省の調査では果樹・野菜の被害報告が年間数百件規模で推移している。水産物は陸上の農作物以上に「盗みやすく、追跡しにくい」。産地偽装も容易だ。カキ1個にトレーサビリティを付与するコストは現状では見合わない。ここに構造的な穴がある。

高水温による大量死——「海が変わった」という不可逆の現実

2024年夏、広島県沿岸の海水温は記録的な高さを観測した。瀬戸内海の平均海水温は過去30年で約1.5℃上昇しているとされるが、問題は平均値ではなくピーク時の水温だ。

カキの生存限界水温は概ね30℃前後。2024年夏には広島湾で31〜32℃に達する日が続いた。さらに降水量の減少で海水の塩分濃度が上昇し、カキにとって「高温×高塩分」という複合ストレスが発生した。広島県が設置した有識者会議でも、この複合要因が大量死の主因と指摘されている。

被害規模の正確な数字は現時点で県が集計中だが、複数の養殖業者への取材では「筏によっては3〜5割が死んだ」という声がある。仮に1事業者あたり年間生産量10万個、そのうち4割が死んだとすると4万個。生産コスト(筏維持費・人件費・種苗費等を按分)を1個あたり約80〜100円と見積もれば、1事業者あたり320万〜400万円の損失になる。県全体で400事業者、被害程度にばらつきがあるとしても、総額は数億円規模に達する可能性がある。

ここで考えるべきは「来年も同じことが起きるのか」という問いだ。

気象庁のデータでは、瀬戸内海の海水温上昇トレンドは明確で、今後も高水温の夏が繰り返される確率は高い。つまりこれは一過性の災害ではなく、養殖適地としての広島湾の前提条件が変わりつつあるという構造問題だ。

一部の養殖業者は、筏の設置深度を下げる、養殖密度を減らす、耐暑性の高い種苗を選別するといった対策を始めている。だが、これらはいずれもコスト増か生産量減を伴う。「同じやり方で同じ量を作る」ことが、もうできなくなりつつある。

ナフサ高騰——「作る」の外側から来るコスト圧

3つ目の打撃は、生産現場の外から来た。

ナフサはプラスチック製品の基礎原料だ。カキの出荷に使うトレー、パック、発泡スチロールの保冷箱、さらには養殖に使うロープや浮きの素材にもナフサ由来の石油化学製品が使われている。

中東情勢の不安定化を背景に、2024年後半からナフサのスポット価格は前年比で約15〜20%上昇した。これが包装資材メーカーの製品価格に転嫁され、養殖業者の手元には「資材費の値上げ通知」として届く。

具体的にどれくらいのインパクトか。カキ1個あたりの包装・流通資材コストは約10〜15円とされる。これが15%上がると1.5〜2.25円の増加。「たった2円」と思うかもしれない。だが年間10万個出荷する事業者なら15万〜22万円のコスト増だ。利益率が5〜10%程度の零細事業者にとって、この数字は利益を丸ごと吹き飛ばしかねない。

しかも、ナフサ高騰は燃料費にも波及する。漁船の燃料である軽油の価格も上昇基調にあり、筏までの往復にかかる燃料コストも増えている。国の燃料補助金(漁業経営セーフティーネット構築事業)はあるが、申請手続きの煩雑さから利用率が低いという声も現場からは聞こえる。

三重苦の構造——なぜ「同時に来る」と致命的なのか

盗難、大量死、資材高騰。それぞれ単独なら、なんとか耐えられるかもしれない。だが3つが同時に来ると、事業者の対応余力が消える。

大量死で生産量が減る → 1個あたりの固定費負担が増える → そこに資材コスト増が乗る → 利益が出ない → 防犯投資や設備更新に回す資金がない → 盗難リスクが放置される。

負のスパイラルが、3つの危機を「掛け算」にしている。

広島県のカキ養殖業者の平均年齢は60歳を超えているとされる。後継者不足は以前から指摘されてきたが、こうした多重リスクが顕在化すれば「継がない」判断をする次世代が増えるのは当然だ。1事業者が廃業すれば、その海域の養殖権、筏、ノウハウが丸ごと消える。一度消えた養殖インフラは、簡単には復元できない。

で、どうするか——中小の養殖業者に残された選択肢

「持続可能な水産業を」と言うのは簡単だ。問題は、年間売上1000万円前後の零細事業者が、具体的に何をすればいいのかということだ。

いくつかの方向性を整理する。

1. 共同化によるコスト分散
防犯監視、資材の共同購入、出荷の共同化。個々の事業者では負担できないコストを、漁協単位で分散する仕組みは検討に値する。IoTセンサーによる筏の遠隔監視は、1台あたり数万円まで下がってきている。個人で導入するのは厳しくても、漁協で10台まとめて導入すれば1事業者あたりの負担は数千円だ。

2. 養殖技術の転換
シングルシード方式(1粒ずつ育てる養殖法)は、従来の連についた養殖よりも品質管理がしやすく、高水温への対応もしやすいとされる。初期投資は大きいが、1個あたりの単価を上げられる可能性がある。実際に、シングルシードで育てたブランドカキは1個500〜800円で取引される事例もある。

3. 直販・D2Cによる中間マージンの圧縮
ナフサ高騰で流通コストが上がるなら、流通段階を減らすという発想もある。産直EC、ふるさと納税、飲食店との直接取引。中間マージンを削れば、資材コスト増を吸収できる余地が生まれる。SNSでの発信コストはほぼゼロだ。

4. データ活用による大量死リスクの低減
海水温・塩分濃度のリアルタイムモニタリングは、すでに一部の先進的な養殖業者が導入している。水温が閾値を超えたら筏の深度を調整する、養殖密度を下げるといった判断を、経験と勘ではなくデータで行う。センサー1台数万円、クラウドの月額数千円。中小企業でも手が届くコスト感になってきている。

どれも銀の弾丸ではない。だが「今まで通りやる」という選択肢が、もう存在しないことだけは確かだ。

広島の海が問いかけていること

広島のカキは、単なる特産品ではない。県の水産業産出額の大部分を占め、観光資源であり、雇用の受け皿であり、瀬戸内の海洋環境を映す鏡でもある。カキ1個が育つ過程で海水を大量にろ過し、水質浄化にも貢献している。カキ養殖が縮小すれば、海の環境にも影響が出る。

今起きているのは、「カキが盗まれた」「カキが死んだ」「資材が高くなった」という3つの個別ニュースではない。広島の海の経済を支えてきた構造そのものが、複数の方向から同時に揺らいでいるという話だ。

この危機を「かわいそう」で終わらせるのか、構造を変えるきっかけにするのか。答えを出すのは、現場の事業者と、それを支える地域の仕組みだ。

時間は、あまりない。